渡辺佳幸さん

渡辺さんは、イベントの企画・制作・運営などを行う、株式会社スペシャルイベントの代表取締役です。その基盤となったのが、 30代のときに就職したイベント会社。当時国内外を問わず活躍されていたそうですが、震災を機に「すべてのイベントは特別」という思いから自身の会社「スペシャルイベント」を設立。20代半前半はヒーローショーでスーツアクターに没頭するなど、昔から変わらず好きだった「人を楽しませる」仕事を形にし、日々活躍されています!

 

基本情報

 

お仕事内容(肩書き) 盛り上げイベント求道者・オマツリ博士
お名前 渡辺 佳幸(わたなべ よしゆき)
出身地 東京都 荒川区 東尾久
会社名(団体・組織) 株式会社SPECIAL EVENT
ホームページアドレス www.specialevent.jp

インタビュー

 

1) 今のお仕事(起業)のきっかけや、これまでの道のりなど教えてください。

①ショーほど素敵なお仕事は無い。

まず初めに、17歳から25歳までのアクションをお仕事にしていたことが原点になっています。

僕の場合はスタントマンというほどの大袈裟なものではないのですが、子供のころから好きだった仮面ライダーやゴレンジャーになって、子供たちに楽しんでもらう。。。。みんな自分で楽しんでやっていますが、このお仕事はとてもハマりました。結構体力はあるほうでしたので、過酷な環境にもそこそこついていくことができましたね。

もともとその『スーツアクター』というお仕事を始めたのは小さいころからウルトラマンとかがすごく好きだったんです。ちょうど僕たち40代後半のアラフィフ的世代の男の子はTVをつけるとそういうのばっかりやってたんですよね。それにジャッキーチェンのブームとかも重なって、もうみんなの憧れでした。だからたまたまなんですけど、日本橋三越さんの屋上でイベントの短期バイトを夏にやっていたら、そこのイベント会社さんに専属でやっているアクションチームがあり、迷わず門をたたきました。一切抵抗ありませんでした、なんといっても中学校の時に非公認部活で「ヒーローアクション部※1」を作ってお面作って公園や塾で真似事してましたからね。

※週刊少年ジャンプ 桂正和先生の ウイングマン でおなじみ

そんなこんなで所属事務所の営業力と実力ある先輩のおかげで、たくさんアクションのお仕事をいただいてました。たとえば後楽園ゆうえんちの野外劇場で最初は戦闘員からはじまって、一応ヒーローもやらせていただくこともできました。ジェットコースターに乗って登場するコースターレッドも体験できました。映画のガメラやTVの戦隊ものにも参加させていただきました。

あまりに好きなことを仕事にできていたので大変有意義でした。

ある1点を除いては。。。。。

収入は乏しめでした。

日給は¥8,000でしたので、30日毎日現場をもらえても、24万円です。ただ、お仕事には波が激しくありますので、平均は月収10万くらいでした。その時25歳だったのですが勢いで結婚することにしようとなったのです。(オチを言うとわりと7年くらいで別れちゃいましたが。。。。)

それで、ちょっと生活苦というか親族の反対というか。。。。

いろいろあって。

ここ、つまり結婚することになるタイミングとは、好きなことをやろうとしている若者に対して、親族が徹底的に修正をかけようとする最終地点というわけです。今思えばそうであったのだと、すごく実感できます。

ここの決断の場面で多くの好きなことを仕事にしようとしている若者は悩みます。そして夢を追うことを断念するものです。実際はそこまで悲観的なことではないと最近は感じていますが、当事者はまさに断腸の思いですよ。俺は愛のために普通に働く!!!という自己犠牲の気持ちそのものです。

ただ、ここでいう好きなことは僕のように役者だったり、音楽や、踊りなど相当に表現活動的要素が高いジャンルが多いですね。

このラジオを聴いているみなさんのように、人の役にたつために、事業を興そうという話しであれば親族は万々歳ですよ。

 

②すべてがそろわなくても、やりたければやってみる!

アクションから離れて、さて次に始めてのが『塾の先生』。心の中に少しだけ、『学校の先生やってみたい!』という気持ちが残っていました。少しだけ現実に目を向けたわけです。別の『なりたい自分』を目指したのです。

ただ問題は、全然勉強がわからなかったのです。たくさんの学習塾の採用試験を受けましたが、当然筆記試験には高校生レベルのテスト問題を受けさせられるのですが、これがサッパリわかりません。思えばずっと成績は悪かったほうで、また高校を卒業して数年たっていたので、まったくわからずさんざんな結果です。

10回以上受けましたが、これらの学力をつけるのは時間がかかると思い、普通に採用試験から入るのは断念しました。ある塾がテスト課という教務課的な事務職を募集していたんですが、まずはそこに潜り込みました。なんとか大手学習塾に籍をおくことができたのです。

入って3カ月くらい経って、国語課で欠員が出たんです。どこの管理職もそうですが、コマを埋めるやりくりには相当頭を悩ませています。この段階までくると学力よりやる気です。僕は当時契約社員でしたから、使いまわしたほうが塾の経営にもよかったのだと思います。

本を読むのはすきでしたから、オファーがあったときは迷わず『僕やります、ぜひやらせてください!!!』とお願いしました。ここで臆していては2度と機会は来ないでしょう。これも分岐点、ポイントです。

こうして、主語述語飾り言葉さえわかっていない国語教師が誕生しました。

僕にとって運がよかったのは小学生向けの中学受験国語という科目だったことです。文章問題はどのような文書を読み、解くのかは授業のその場で初めて配布する超復習型の学習塾でしたので、毎朝4時に起きて、その問題を繰り返し予習している僕には、当然誰もかないません。

主語述語などの文法は、小4から小6まで形を変えても基本は全く同じだったので、一度マスターしてしまえば、なんとかなりました。そして、いろいろ授業を盛り上げる工夫を行いました。

クラスを数班にわけて、Aグループを「キリンさんチーム」Bチームを「パンダさんチーム」と分けてさながらクイズ番組のように盛り上げる『クイズショー授業!!!』。それでは次の問題はこちら!!これは子供たちも大いに沸き新しいエンターテインメント授業というジャンルを確立したと思いました。いえ、学力の無い僕にはこうするしかなかった。ほかにできなかったのです。だって勉強と無縁の世界にずっといたのですから。

【無理やりでも自分の得意分野でオンリーワンになる。】

奇跡的にノークレームで塾の先生時代は進みました。渡辺先生の授業は面白いと素直に家で保護者の方に言ってくださいお子さんも多く、さすがプロは違うを保護者様から評価をいただきました。

顧客にとって何が大切なのか?をじっくり考えてみる。

塾に通学させる保護者は最重要顧客です。

ではこの保護者の皆さんが求めることとはいったい、どのようなことでしょうか。

(1)志望校合格

(2)学習の習慣の定着

この辺だと思います。

(1)の志望校合格は、通塾の果て、つまりエンディングです。これは結果に過ぎないし運もあります。そして、指導力が問われる大切な尺度です。でも、いったん僕はここは外しました。合格実績に伴う優秀クラスはもっと室長クラスが受け持つのが常です。まだ自分はそのレベルにはいっていないと察しています。

したがって②の生徒の学習習慣の定着 を明らかに家庭でわかるようにしました。つまりたっぷりの宿題をこどもが嫌がらずに行う姿を親に見てもらうということです。

宿題をきちんとやったら、また漢字テストでよかったら、スタンプカードにシールを貼ってあげて、10枚たまると渡辺グッズ。。。。。とか物で釣るようで嫌ですが、効果ありました。

でも一番大切だったのは提出物のノートをきちんと見てあげるということです。頑張っていたら必ずコメントを入れてあげること。ハナマルにもランクをつけてあげて、もっと頑張りたい気持ちにもっていくこと。

 

③年齢の節目は自分を変えるチャレンジのタイミング

そうこうして4年が経ち、僕も30歳になりました。人生の節目はふと思います。僕の場合、好きなことを仕事にしよう!!と思ったんです。もちろん、十分に塾の先生も楽しんでると見えると思います。ただ生涯を通して続けていきたい仕事がいい!と30歳の僕は真剣に思ったのです。

僕は何がやりたかったのか。

一貫して「人を楽しませること。」というつながりがあったと思います。ヒーローショーや塾の先生、子供たちを盛り上げて喜ばせてあげる。やっぱりその方向性を極めよう!!それができる世界はイベントの世界だ!!!それしかない。と当時の僕は思ったのです。

残りの人生をこの仕事にかける!!くらいの意気込みで「イベント制作会社」を面接しました。家族の生活費もありますので、いきなり勤めている会社をやめるわけにはいきません。3社受けて1社通りました。

イベント会社といってもジャンルは様々です。

僕が入ったのは「イベント用ゲームのレンタル」「イベント会場の飾りつけ」「企業のインセンティブパーティの制作」を主に業務としておこなっている会社でした。イベントという言葉の広い意味をそのまま受注するような、多岐にわたるお仕事ばかりやっていました。

カジノパーティ、オマツリ縁日、ボウガン抽選機や、ロデオマシン、人数集計機、トロピカル会場やウエスタン会場などのテーマ装飾、音響照明などなど多岐にわたりすぎてすべてを習得するのには年月が必要なくらいでした。

未経験なのに責任者という立場で現場に行って、『なんとか運営していくという沢山の経験』と『やっぱり力不足でなんともならなかった失敗経験』を積み重ねて、確実にオールラウンドプレイヤーになりました。

比較的放置型の会社でしたので、もう社員にやらせっぱなしです。成功も失敗も自分の責任です。やるしかない状況に追い込まれる日々です。

積み重ねた数あるイベント業務のこれらひとつひとつが果たして僕にとってのやりたいこと。好きなお仕事なのでしょうか?

「お客さんにすごく喜んでほしい」ということが好きでやりたいことであれば、どのような形を持っていたとしても、そこに持っていくことができる。小さなひとつひとつの成功体験を積み重ねてこの日々は今の汎用性と適応力ある自分を築いてくれたことになります。

イベント会社に勤めて5年ほど経って、僕は「テーマパーティ」というイベントジャンルが好きになってきました。先にちょこっと出てきていますが、イベント会場を1つのテーマにして飾り、アトラクション、食事も全部統一するのです。「ディズニーランド」のテーマパークがわかりやすいです。

内容も「トロピカル」「ウエスタン」「ハリウッド」をはじめ、「アメコミ」「宇宙」「深海」などそれこそ想像できる内容であれば実体化できるのです。そのイベント会社の経営者は、海外から多くの装飾を輸入して、本格的なテーマイベントに使用して盛り上げるという事業に力を入れていました。

適正とやる気が僕が最も高かったので、テーマパーティスペシャリスト(拡販担当)として、ホテルや旅行会社の営業の方に、インセンティブイベントにおけるテーマ性の面白さをご案内したり、海外の展示会勉強会などにも参加しました。

その時参加したのがアメリカにある『スペシャルイベント協会』の主催する展示会、世界のイベント会社が装飾やエンターテインメントで表彰される表彰夕食会でした。

多くのダイナミックな演出、装飾その本場を体験して(自費留学)僕も日本国内におけるテーマイベントの先駆者をめざして、さまざまなホテルに営業をかけて頑張りました。そして幾つものイベントを成功させてきたのです。

 

イベント会社での気づき

『お客様は自分のやってみたいイベント、つまり夢を実現させてくれる大きな存在!』

 

イベントのお仕事の場合、自分の好きなこと、やりたいことを実現するためには、自分が営業をしてその仕事をとってくれば実現ができるのです。関心をもってくれたホテルと一緒に『テーマパーティプラン』にも着手しました。

いろいろな企画を練り、各プレゼンに提出するイベント屋さんとしての日々ですが、会社に所属していてとても嫌だったのは、自分の作品(企画書)を上司(経営者)に修正させられてしまうことが多いということでした。

飛躍的にすばらしい修正ならいいのですが、僕にとってはよりレベルダウンしてしまうような気持になる陳腐な直しが入るので嫌になってきてしまいました。

イベント会社に勤めて10年が経ちました。その時社内には、自分の模範としたい人間は一人もいなかったのです。だからと言って、すぐやめるということはしません。バツイチながらも長男を引き取って育てているので、会社を辞めるということはしないです。

 

④天変地異はやるしかない自分を創る。自分のやりたいことのために生きるには。

そんな時、東北の大震災が起きました。僕が40歳の時です。天変地異が目の前で起きてようやく、新しい出発のきっかけになりました。

『もう一度やりたかったことをやり直そう!!!』

あらためて、決意した僕が進んだのは、生活のために辞めたアクション活動をもう一度やらなくては死ぬに死ねない!!!という気持ちでした。

その時僕はウエストが1mありました。体重が85kgあって、とてもそんなことが考えられないことでしたが、人は背水の陣、人生のラストチャンスを思うとやれるものです。狂ったようにダイエットして、体重も70kgを切るようになりました。

ざっと、15年くらい何にもしていませんでしたが、意外と体は覚えていてすぐにバク転もできました。やがて、大好きだったヒーローショーにも復活することができました。

これは自分の中の復活劇です。

ここに至るには社会人経験の中で、意外と40代でも体力がある人がたくさんいる。。。。ということを知ったからです。だからあきらめなくて済むことができたのでしょう。

週末の土日をヒーローショーに入って、これは行けそうだな?と感じたので、体が動けるうちにもっと挑戦したい!という気持ちでした。

この時はまだイベント会社の社員です。自由な時間には制限があります。もっとたくさんアクション活動を行うためには、会社をやめるしかなかったんです。

しかし、会社をやめて収入はどうするのだ。長男はもう中学校1年生。バイトしながらアクションをやるのか????それでは過去の二の舞です。

25歳の時はバイトしながらでもなんとかなると思って結婚したものの生活できなかった。それと同じでは駄目なことは目に見えている!!!必ずまた生活が行き詰まる!!

そこで考えてたどり着いたのは、『イベントで起業して収入を得る』という選択でした。僕にできることは、これしかありませんでした。

イベントで今まで経験を積み重ねてきた僕は、確証は無いがやっていける。。。。そんな気がしたんです。心のどこかに経営者になりたい。という気持ちもあったのでしょう。これはごく少数の限られている仲間だけが知っている真実。

僕が起業したきっかけは『バイトしたくなかった。』からなんです。

言い換えると、自分自身で人生をつくる!自分の人生の為に生きたかった。

『僕は生活のために夢を見る(I dream for a living.)』スピルバーグ

 

【まとめ】

・40歳の時、東日本大震災が発生して、これは何かをやらなくてはいけないと思った。

・節目の歳には自分自身に問いかける!やる気がでる。

・チャンスがあったら迷わずやる!

 

2) 好きな事で「稼ぐ」ための苦労や努力、挫折や復活談などお聞かせください。

『好きなこと』≒『やりたいこと』という前提のもとに。。。。

基本的考え方:お客様は自分の夢を叶えてくれる存在。

好きでやっていることは、基本稼げない。。。僕の場合アクションは稼ぐことはできませんでした。。。。日給¥8,000です。これは普通にバイトしてもらえる額より低いです。

これは好きでやっている僕たちを悪い大人が利用しているとそんな気がしてならないのです。いえ、そんな気ではなく事実です。もちろん、しっかりと稼ぐプレイヤーもいらっしゃいますよ!ただ本当にすごいというプレイヤーだけです。

とにかく『好きでやっているから多少安くても仕方ないか。。。』という考え方は×駄目です!僕たちはいきていかなくてはならないんです。

ではどうすれば『稼ぐ』ことができるのか。それは今僕がイベント会社経営という実体験から感じたことなのですが『たくさんのお客さんから信頼されること』じゃないかって思います。そこまで行くまでの僕がやってきたことをお話しさせていただければいいでしょうか。

僕はイベント会社をやっていますが、イベントってほんとうに広い活動があてはまりますよね。普通に生きていても誕生日、結婚式、クリスマス、卒業式、運動会。会社にはいったら、忘年会、取引先招待会、表彰パーティ。そこまで大きくならなくても、二人でデート、または飲みに行く!ということだけでもイベントという言葉が成立しちゃいます。

これだけ種類がおおくなってくるのですからこれは形にはめて、自分は結婚式専門とか運動会専門とか言いきることが難しいんです。もちろん大きなイベント会社は専門でやってらっしゃるところもありますよ。

でも、僕のようにまだ小さいところは、業務内容を特定しすぎちゃうと仕事量が圧倒的に制限されてしまって、せっかくのお仕事をいただけるチャンスを逃してしまうんです。だから、僕の扱っているイベントの業務内容は、イコール『好きなこと』『やりたいこと』『できること』なんです。

ではあなたは『まだやったことない仕事』のオファーが来たらどうしますか?自信がないから断りますか?例えば一度もやったことのない1000名マラソン大会の仕事の相談が来た場合とか。。。。弱気になったら引いてしまいます。

でも、僕の場合は【自分でできないことでも、やりたいと思った仕事は受ける】んです。イベントは前例がある内容なら、たとえ自分に経験が無くても実施可能と信じることが大切!

「これやりたいな」「こんな仕事したいな」と思ったら、迷わずGO!経験のある人を頼ったり、諸先輩の真似をして何とか完成させます。しかしながら、自分自身は未経験なのでその過程は精神苦そのもの。客は普通にプロだと思っているわけです。

でも、一度もやったことがないのにやる。

好きなことで稼ぐためには経験のなかった仕事も受けないといけない。それは僕に頼めば、なんでも相談にのってくれるはずだ。というイメージがお客さんに持っていただければ、次につながる信頼を生むからです。

もちろん、リピートあってはじめて成功したと実感しています。

もちろん、いまではなんでもできる気がする。

明後日はまだ1回もやったことのない毛皮ファッションショーを制作運営しますが普通にできるとしか思えないのです。それは好きなイベントからのつながりがあるからです。

起業して一番困ったことは今までの自分自身のサービス精神でした。

過去の自分は恐ろしい営業で、『自分がやりたいイベントならどんなサービスもしてしまう』というお客にとっては夢のような担当でした。要は予算が無くても、会社の倉庫にある飾り物やゲームを営業判断という名のもとにたっぷり現場に用意してしまうんです。

こんな従業員を抱えた会社はたまりません。運営方針が崩れます。もちろん、きちんと金を取れ!!という当たり前のことになりました。

『どんなサービスもしてしまう』というのは若干大袈裟かもしれませんが、なにか1つ2つ飾り物をおまけしてあげるということが大好きでした。理由は簡単「お客さんが喜んでくれるから」です。

結局自分の信じるあり方、方針渡辺スタイルでやりたくて、自分で会社を作ったということにもなります。

そこですごく困ったのが、結局起業して、いままでのお客さんは僕を信頼してお仕事の相談をくださいます。つまり、会社員時代からのリピーターである僕のお客がそのまま、渡辺さんに相談したい。と言ってくださいます。困ることではないのですが、過去の自由に会社の備品を持ってきちゃうトンデモ営業だった自分と企業したばかりの会社の備品が全然無い自分が同じにみられるのです。

僕は絶対に、僕を信頼してお仕事をくれるお客さんに期待に応えたかった。タレント手配とかなら、所有物の大差はありません。ただ、大きなのキッズパーティの場合、目立つ飾り物の力が物を言います。

たとえば、会社にいたときは等身大置物のトナカイやスノーマンをサービスで持って行ったものです。そんなものが無い僕はどうしたか。それは、『芸は身を助ける』ということ。

仕入れコストのそんなにかからない「バルーン装飾」を使ってダイナミックに盛り上げたのでした。それこそ、大きなバルーンアーチやバルーンタワーを作れるように過去に勉強した成果なのです。

バルーン装飾はもともと大好きで、よく勉強していました。起業直後は「バルーン装飾」のサービスが当たり!今まで通り僕にお仕事がいただけるようになったのです。それどころか、イベント会社でやっていた時よりもお仕事をいただく量が増えていったのです。

この事例から感じていただきたい教訓は【見せ方にこだわる!演出力を磨く】ということです。

自分の好きなことの技術や能力が、日本一、世界一でない場合でも、すでにあるマーケットで参戦しないといけない。

内容や技術が相手よりも高くない場合、盛り上げ方や演出方法によって、いままでの相手に勝つことができる。

僕のテクニックとしてイベント装飾などの場合は、『人は大きいもの、重いものに価値を感じやすい。』という見せ方があります。それはイベント演出上とても大事な秘訣です。たとえば子供がプレゼントにもらうおもちゃは、小さいものより大きいもののほうが喜びやすい。プレゼント箱を選ぶときは重いほうを選びたがる。これは実際のイベントのお仕事の現場でも身をもって大切と感じたことです。

例外的な通の方には通じませんが、大勢のお客さんに喜んでもらえました。もちろん、吉田和尚に相談してホームページを強化するというのも演出力です。それは自分自身のブランディング強化にもつながっていくと思います。

そして、今まで夢中で取り組んだすべての真剣な仕事が、反映されているんですよ。だから、このラジオを聴いている起業をめざす皆さんには、【好きなことを夢中で取り組んでほしい】です。

僕の場合『スーツアクター』×『塾の先生』×『テーマパーティプランナー』×『オマツリ博士』×『バルーンアーティスト』×『パーティプランナー』×『ブッキングエージェント』×『イベントゲームレンタル』=スペシャルイベントの渡辺となるわけです。

いい歳だったからというのもありますが、稀有な存在でしょう。同じ人間の生存確率はほぼゼロ%に近いと思います。

好きなこと多すぎるじゃないかと思うかもしれませんが、昔から移り気でいろいろ試したくなってしまう性分だったから仕方ないです。そういった意味ではいろいろできる今の好きを仕事にできているということは天職なんだと思っています。

だから皆さんも天職に転職しましょう。

 

 

3) 今後の展望・目標などをお聞かせください。

7月6日は僕の誕生日であり、僕の会社である株式会社スペシャルイベントの誕生日です。

次でもう満6歳です。はやくも小学校1年生ですね。

この6年間はなかなか背伸びしていました。当然これからもしていきますが、いままでは大小さまざまなリクエストに応えて、期待以上の成果をご提供させていただくことに全力を尽くしてきました!

これからも引き続き頑張りますが、目標としてまず『ファミリーイベント』の日本一の会社にしていきたいと思っています。

①ファミリーゲーム ②アトラクション ③フード ④デコレーション

すべてを高い水準で、お求めやすくご提供できるようにします。

僕の原点は幼稚園の運動会の温かさですから。

次にスペシャルイベントが主催するテーマパーティイベントを開催します。

期間限定で会場を借り切って、その場所を異空間に仕上げて、参加者全員がその世界を楽しめる、いってみればテーマレストランとサーカスが融合したようなイベントです。もちろん、僕の大好きなアクションライブも毎日公演してもらいたいです。

まずは『マーズワールド(火星)』とかかな?

評判になったら常設して、多くのエンターテインメントが日々盛り上げるテーマレストランに発展させていきたいですね。

 

4)好きを仕事にするために大切にしていることはズバリ何ですか?

①必ずやり遂げる、成功させるという信念。

意外と仕事では負けず嫌いだったりしてました

②Every event is SPECIAL! すべてのイベントは特別です。

どんな案件でも大切にする。イベントを作ろうとする人の気持ちは規模に関係がない

③お客様は夢をかなえてくれる大切な存在。

具体的な案件なくしては仕事では無い